ようやく最後のサビに入ったようだ。フィネが歌い終わるまで待つ。途中で遮ると落ち込む。
「フィネさん。そろそろ家が見えてくる頃」
「はーい」
見渡す限りただひたすらに広いばかりの草原と、砂にまみれて霞みかけた石畳の道。だが遠くに見えた小さな集落は、確かにナクリエマ王国の支配圏入ったことを示している。ここまでくれば西リットン半島はそう遠くはない。それに、道の上を歩いてさえいればモンスターと遭遇することもまず無い。所々木の柵が途切れているような、無防備な道であるとはいえ。
無感動な瞳で、サイは代り映えのしない風景を見まわした。シュトラセトとビガプールを繋ぐこのフォーリンロードは、一般市民が通ることも少なくはないはずだ。警備が甘いのは新興王国ゆえだろうか。この辺りに出没するモンスターは、武術の心得を持たない人間が通るには十分に危ないはずだが。
そのときだった。
「待って」
堅い声がサイを呼びとめる。振り向くと、サイの小さなペットは警戒するようにピンと耳を立てて、緊迫した表情でどこかを凝視している。いやな予感がしたがその視線の先を追う。追って、サイもまた眉を顰めた。
視線の先にあるのは、少し離れたところにある林だった。その木々の向こうで何かがうごめいている。地面に落ちた木陰に紛れるようにして、3体…いや、4体か。
「トレント?…珍しくないでしょ」
「違う」
宥めようとしてかけた言葉に、低く即答される。少女のこわばった表情が解けることはない。それどころかますます神経を緊張させて、耳を澄ましてじっとそちらを見ている。まだ小さな手が、鉄の槍を強く握りしめた。
あまりに生真面目な顔をしているから、自分にまでその緊張がうつったらしい、もう一度目を凝らして林を望む。どれほどの時間だったろうか、多分数秒の間だっだろう。横の彼女がつぶやいた。
「……ひとだ」
次の瞬間、林から何かが勢いよく飛び出してきた。木陰から出て日の元に晒されたことで、その輪郭が今度はくっきりとして見える。全力で疾走している、あれはた確かに人間だ。後から人の倍もの背丈を持つトレントたちが鈍重そうに男を追い掛けてくる。男の足は決して遅くないだろう。だが人とトレントとでは歩幅が全く違う。嫌な予感がした。
「フィネさん」
呼びとめる。しかし。
もうすでに少女は走り出していた。男と、それを追うトレントたち目がけて。
「…フィネさん!」
ああもうまったくあの女は。
ペットになってまで、あの人は本当に俺の言うことを聞かない。
渋々サイもそれを追い掛ける。一人で行かせて怪我をさせるぐらいなら、腹が立っても付いていく方がずっと良い。
攻撃命令の射程範囲内まで近づくと、追われているのはまだ若い男だと見て取れた。とにもかくにも攻撃命令を出す。握りしめた槍が白銀に輝く。ようやくこちらに気づいたらしい彼をしり目に、フィネは迷うことなくトレントの群れに突っ込んでいった。
結果から言えば、勝負はあっという間についた。よく乾いた木の皮が燃え尽きるような音を立てて最後の一体が倒れた時、サイはまだ「励ます」すらかけていなかった。実のところ、この程度のレベルのモンスターならサイとフィネには敵にもならない。それでもサイが戦闘を避けたがっていた理由は別にある。
「…あの、本当に悪かった」
ようやく呼吸も整ってきたらしい男が、体を小さくして謝るのはこれで何度目だろうか。サイが治療をしている間、辺りは気まずい沈黙に包まれた。ケルビーに座らせたフィネが気遣わしげな視線を寄越してくるが、それも目を伏せたまま無視する。怒っている相手はあの男に対してだけではない。
フィネの肌は陶器のように白く滑らかだ。一見して華奢で細い腕に包帯を巻き終わってから、ようやくサイは男をみた。おそらく成人しているであろう大の男が、本当に申し訳なさそうにしょげてこちらを見ている。
「…気にしなくていいですよ」
放った言葉は、その文法的な意味に反して冷たく突き放すような響きを持っていた。トレント系のモンスターの攻撃は物理判定以外に知識攻撃が追加されている。物理攻撃ならいくらでも回避のしようがあるものを、知識攻撃は避けようがない。だから嫌なのだ。どれほど些細な攻撃といっても、受ければフィネの体には傷がつくし、彼女は痛い。
「フィネさん」
「…は、はい」
制止を無視して勝手に飛び出したことには負い目があるのだろう。声をかけるとぱっと背筋を正してこちらを見上げてくる。
「ずいぶん歩いて疲れてるでしょ。そのまま乗ってて良いよ」
「え、でも」
「良いから」
言葉を重ねると負い目がある彼女はすぐにうなずく。しょんぼりとうつむいた頭を少しだけ撫でた。次いで再び男をみると、ぽかんと口を開けて間抜けな顔でこちらを見ていた。一般市民には、自分たちの姿はさぞかし奇妙に見えているのだろう。非難がましいサイの目線に気づいて、男はあわてて立ち上がる。
「家、近くなんですよね。どうせだし送りますよ」
「あ、いや…これ以上迷惑かけられないし」
「今更変わりませんよ。…また危ない目に遭われる方が迷惑ですし」
不穏な空気にフィネがそわそわしている。彼女は昔からこういう雰囲気が苦手だ。いびるのもこれくらいにしておいた方がいいか。やり過ぎて叱られるのは、こういう場合に限ってはいつもサイの側だった。
「…うん、よし、じゃあ行こっかー」
気まずい空気に耐えきれなくなったフィネが努めて明るい声を出し、一行はゆっくりと歩き出した。
治療
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