いつのことだか おぼえてますか
あんなこと こんなこと あったでしょう
うれしかったこと かなしかったこと
いつになっても わすれない
老眼鏡をかけ直すと、机の上に置かれた脱退届から老人はゆっくりと目を上げた。
「…本当に、良いんだね」
重い口調で確認した老人に、少女は黙って頷いた。
誰もいないギルドホールに西日が差し込み、大理石の床をオレンジに染めている。
その光の中にいるギルド事務官とは対照的に、少女は影の中に佇んでいた。
頬のあたりにまだあどけなさを残す容貌。しかし、その表情は達観と諦念を帯び、青い瞳は虚ろでさえあった。
ぱさり。女の子らしいピンクのアームウォーマーが、床に落ちる。
露わになった白い華奢なうでには、その大部分を埋め尽くすようにして紺青の刺青に覆われていた。
――否、それは刺青ではない。
「この病はもう治らない。…隠してられるのも、もう限界みたいです」
真っ向見返す瞳が、まるで研ぎ澄まされた刃のようだ。
強く、美しく、そして脆い。
悲壮な決意と覚悟を決めた若者の、真っ直ぐで迷いのない目。
事務官は目をそらすと、机上の書類を指でなぞった。
「マスターには、何と」
「アリアン所轄のギルドに移籍すると伝えました。あそこは、人の多い所ですから」
フランデル大陸中部と、この極東地方の貿易の中継点であるオアシス都市アリアン。
老人は微かに笑った。
「人を隠すなら人の中、か」
「はい」
老人は溜息をついた。
分かっている。彼女の行く先が、傭兵ギルドなどではないことを。
「…行先は聞かない方が良いんだろう?」
「すみません」
「なに、謝ることではない。詮索する権利など無いのだからの」
「…すみません」
少女はうつむいた。
皮膚を覆う、刺青のような紋様。それは魔法傭兵たちが好んで身につける刺青でも、ファッションでもない。
――死に至る病。その紋様が全身に行き渡れば患者は心臓をつぶされて命を失う。
もう初夏を過ぎているというのに、過剰ともいえる厚着のロリータ・ファッションはそれを隠すためだったのだろう。だが、日に日に日差しの厳しくなるこの時期、いつまでもそんな恰好で怪しまれない訳がない。
だから彼女は悟ったのだ。
――もう、限界なのだと。
「…いいんです。…もう、いいんです」
消え入りそうな声で少女は呟いた。
「一緒にいられるだけで、私、幸せだったんです」
だから。
誰もいなくなったギルドホールで、事務官はゆっくりと顔を上げた。
手から離れたペンが、書類の上を転がっていく。
数名分の脱退届の処理を終えたのだ。
ギルド員の名簿から名前を削除する。
更新に気づいたらしいギルド員が一瞬顔を上げ、そしてまた自分の作業に没頭していく。
事務官自身もまた、沈黙を守り、執務室の椅子に腰かける。
もう永くないだろうあの少女は
今頃どこで何をしているのだろう。
考えたところで、答えが出るはずもない。
ただ、彼女のあの刃物のような瞳は、強く訴えていたのだ。
ただ一言、「くるしい」と。
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お別れの話が急に書きたくなったので
即席で書いてしまった。
意味は特にないでs
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