「エレーネ」
「なぁに」
ついこの間までのはしゃぎっぷりに反して、窓の外を眺める少女の返事はそっけない。
「準備はいいの?お城のパーティーは今日じゃない」
「いいの」
頬杖をついて、退屈そうに。彼女は振り向きもせずに断じた。
「…どうして?」
パーティーが始まるのは日が沈んだ時からだ。開け放った窓から涼しい風が吹き込んでくる。西に傾いた真っ赤な夕陽に染められて、長い金髪がきらきらと輝いた。
「王子様はロリコンだから、私はもう制限オーバーなの」
それは冗談なのか。一心に小麦畑の向こうを見つめる背中があまりに無口だから笑えなかった。
「…じゃあ、お姉ちゃん行くからね」
「うん。いってらっしゃい」
馬車の中から家を振り返ると、妹は不思議なくらい落ち着いた目で、夕陽を見ていた。
全く計算外だった。
(王子様がロリコンだなんて)
もうすっかり日は沈み、パーティー開始の花火が打ち上げられるのを見送って半刻。
新調したドレスも無駄になってしまった。どんなに綺麗に着飾っても、王子様の趣味に合わないなら仕方ない。選ばれないのが分かっているのに、パーティーに行ったって無駄に期待してしまうだけだ。そのぐらいなら自分から諦めた方がずっと良い。
(暇だわ)
父は冒険に出かけたまま帰ってこない。母も姉もいそいそとパーティーに出かけて行った。今この家にいるのはエレーネだけだ。普段はにぎやかなこの家も、誰もいないと流石に物音一つしない。
(…片づけでも、しようかな)
今夜はビガプール中の女の子が期待に胸を膨らませ、着飾ってお城に集っているのだろう。そんな日に家で一人、掃除をするわたし。まるで月とすっぽんだ。シュールすぎて泣けてくる。
(かなしくなんかないのに)
王子様はイケメンだから、一目見て恋をする女の子なんてきっと掃いて捨てるほどいる。エレーネだってそのうちの一人だ。特別な何かなんてない。たった一輪の薔薇のことなんて、王子様だって忘れているだろう。
〈…ありがとう〉
差し出した薔薇をそう言って受け取ってくれた。棘で傷だらけになった手に、薬を塗りこんでくれた。あのパレードの日王子様の胸で咲いていたあの薔薇は確かに、わたしが育てたのだ。
(かなしくなんか、ない)
ぐいっと袖で目元を拭う。涙じゃない。ちょっと水が漏れてきただけだ。
気を紛らわそうとしてごしごし棚の下を拭いて、身を起こそうとしたら思い切り頭をぶつけた。痛い。
「あ、」
…ついてない。上から落ちてきた荷物に追撃を食らうなんて。
埃っぽくて咳が出る。お母さん、相変わらず掃除苦手なんだから。よく分からない本や箱に埋もれそうだ。目を開けてふと一つの箱に目が止まった。
「…なんだろ、これ」
日が沈む前の、澄みきった空の深い青のような。あるいは、空から降り注ぐ星の光の青のような。綺麗な青。それが灰まじりの白い埃の下から、覗いている。手にとって雑巾で拭いてみると、拭いたところから美しい青が現われる。その青に金色で繊細な意匠が凝らされているのが分かった。
何か文字が書かれている。古い言葉だ。うろ覚えの記憶を掘り起こす。
「…シャ、イン…スィング?」
箱を開けようとするが、金具が錆びついていて中々動かない。どれだけ長い間放置されていたのか。ばちんっという音とともに金具が外れた時、エレーネは肩で息をしていた。
蓋のそれは頑なだった割に、蝶番は滑らかだった。蓋を持ち上げると、驚くほど容易に箱は開いた。隙間からきらきらと光が漏れてくる。目線が吸い寄せられる。中に入っていたのは、見たことも無いほど綺麗なワンドだった。
手にとって振ってみると、金色の光が燐粉のように散って軌跡を残す。溢れんばかりの星の力を感じる。
「…すごい」
母が魔女だったというのは、本当だったらしい。わたしにも魔法が使えるだろうか。できるかもしれない。このワンドなら。
そんな風に考えたのが、最初から間違いだったんだろう。
だけどそんな事思いもしなかった。
だって、わたしは王子様が好きだったから。
(あの子)
妹に似ている。女神の祝福を受けたような金髪。ちょっと生意気そうな表情。
いや。似ているのじゃない。
(あの子はエレーネだわ)
堂々と歩いてくる幼い少女。エレーネはもう年頃だ。そんなはずはないのに、姉は確信していた。
なぜなら、少女が纏う真っ赤なドレスには、彼女がエレーネのためだけに縫ったのと同じ刺しゅうが施されていたのだから。

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